第一章 私は別人(01)
どかーん!
いきなり、目の前が真っ暗になった。煙くさい爆風を浴び、あたしはとっさに手近にあった月哉(つきや)の腕をぐっとつかんだ。
「ぎゃーっ」
つかみすぎたらしい、月哉が悲鳴を上げた。かまっていられない、あたしは爆風に押されるようにして、数メートル吹き飛ばされた。
煙は、あっというまに消えていった。まるで最初からなかったみたいだ。目の前に広がっているのは、無限に広がる緑色の草と丘。
「ほー、ロマネスク様式」
月哉の声だ。
振り返ってびっくりした。月哉はまるで別人だった。紫がかった短い銀髪に、西洋中世風のチュニックを着ている。彼の指さすその方向には、遠くにかすんでいる教会があり、それを見ながら月哉は元気よく言った。
「やったね! 成功したよ! ぼくたちは、異世界に来たんだ!」
月哉は背中を向けている。声は間違いなく月哉だし、この脳天気さは間違いなく月哉に違いない。転送装置が、妙な具合に働いているのだ。姿が変わったからってどうだっていうの? いちいちママの悪ふざけにつきあっていられない。
「月哉。きっとここは、日本のどこかのテーマパークよ」
あたしは、頬にこすりついた砂をごしごし手の甲でぬぐいながら、
「ママはこの手の冗談を、生前よくやってたもの」
「違うっ! ぜったい、異世界!」
月哉の背中は、期待のオーラがめらめらと燃えるようであった。
「あの取扱説明書に、そう書いてあったじゃないのさ」
「取説には、異世界ににくるって書いてあったわけ?」
あたしは月哉の背中をにらみつけた。
「なんか細かい字がいっぱい書いてあったからねえ、よくわかんねーな。それよりヒカリ、大冒険が待ってるんだよ! 剣と魔法、魔王との戦い! そして陰謀と勝利!」
「帰りはどうするの」
あたしは、油断無く辺りを見回しつつ、ぱたぱたとスカートをたたいて、冷静に訊ねた。
「……帰る?」
月哉はこちらを振り返った。目を丸くしている。
「……ありえない!」
「てゆーか、テーマパークならお金を払わなくちゃいけないでしょ、あたし、そんなにお金持ってないのよねー」
持っているのはケータイとハンカチと、絆創膏くらいなものだ。所持金は三千円、こんな広い敷地のテーマパークには、ちょっと足りないのでは。
「売店ないのかな、なんかのど乾いた。ジュースでも買いたい」
あたしは歩き始めた。
「ヒカリ、あんたはお母さんの言ったことを聞いてなかったのか? あんたはここでは、お姫様なんだぜ!」
月哉は夢中になって、あたりの景色を眺めている。
「そうでしょうとも。お金さえ十分あれば、誰でもテーマパークではお姫様です」
あたしは冷静に答えて、歩き始めた。
のどかである。
猫の子一匹いない牧草地に、茶色い肌の牛が草をもぐもぐやっている。その丘の向こうから、なにか小さな物体が近づきつつあった。どうやら、馬に乗った人みたいだ。
「ああ、ぼくはお姫様をエスコートする騎士なのだねえ! 感動だ~」
「あなたってだまされやすい人ねえ。ママは珍しいものならなんでもいいんだから。こないだはオリンピック選手を作るとかいうスポーツ器具を作ってたし、そのまえはスーパーハイビジョン立体映像化計画なんてやってたのよ。今回だっておおかたテーマパークの無料モニターにでも応募したんじゃないの?」
「君のお母さんが、死ぬ間際になってそんなことをするとは思えないなぁ」
「どうかしらねえ」
あたしの名前は、西園寺ヒカリ。地元では有名な発明家を母親に持っている。マヨネーズを細く出すキャップを発明したり、パソコンのグッズを発明したりしてお金をがっぽりもうけては、変なことに使っている。
ママが自分の発明の実験で事故死したあと、あたしは月哉とともに、遺品の処理に追われていた。ガレージの中はみんな、地球環境に悪そうな機械や部品が、散らかしほうだいだ。死んだ人を悪く言っちゃいけないけどね。
「これ、なんだろう」
実験用のガレージの中で月哉が指さしたのは、なんだか奇術師の使うSF転送装置のような物体だが現実には使えそうになく、いかにも粗大ゴミだった。このまま捨てたら、きっと環境を破壊する。2008年は惑星地球年なのに、なんてこった。
「あ、誰かくる」
月哉が、ぽかぽかと日の落ちている丘の向こうを指さした。あたしは回想を打ち切った。馬に乗った人物が、こちらに向かっている。